レオン本人のFacebookページに、奥様のJanさんが投稿しました。彼女によると、レオンはテネシー州ナッシュビルの自宅で睡眠中に亡くなった、つまり起きなかったということのようです。
レオンは、近年心臓バイパス手術を受け、今年になってからも心臓発作を起こしていました。
レオン、1972年発表の代表作、Carney |
1968年にはシンガーとしてシングル“Everybody's Talking About The Young”を発表。
私は初めてこれを聴きましたが、ロックというよりカントリーですね。曲もビックリだけど、このヘアスタイルにも驚きます。
また、作曲家としても多くの作品を提供し、注目を集めました。
しかし、ミュージシャンとして一般に広く注目を集めることとなったのは、プロコル・ハルム「青い影」などを手掛けたイギリスの敏腕プロデューサー、デニー・コーデルによってイギリスで録音され1970年に発表されたアルバム “Leon Russell”です。
このアルバムからアレサ・フランクリン、フランク・シナトラ、ウィリー・ネルソンほか多くの超大物シンガーにもカヴァーされた名曲、ソング・フォー・ユーを紹介します。
レオンの功績として、特にロックファンにお馴染みなのが、1970年、ジョー・コッカーをフィーチャーした、マッド・ドッグス&ザ・イングリッシュメンでしょう。ここではバンドリーダーとして大所帯のバンドをまとめ、ピアニスト、ギタリストとしても大活躍です。
レオンの作品として、日本で特に有名なのは、カーペンターズに歌われ大ヒットした「スーパースター」、ジョージ・ベンソンで大ヒットした「マスカレード」辺りでしょうか。
「スーパースター」。レオンとボニー・ブラムレットの共作。オリジナルはデラニー&ボニー(1969年)ですが、カーペンターズのカヴァー(1971年)が世界中で大ヒットしました。リチャード・カーペンターのアレンジも素晴らしいですね。
ジャズギタリスト、ジョージ・ベンソンのシンガーとしての出世作が、このマスカレード。日本でも当時、アルバム「ブリージン」とともに大ヒットしましたね。
レオンは、これまで何度か来日しています。
全盛期の1973年には日本武道館で公演が行われていますが、当時は外タレといえども武道館で演れる人は限られていました。その頃のレオンの人気が分かろうというものです。
1991年、ソロでヤマハのGX1(たぶん)を弾き語りしたのが二度目の来日と思います。私は、東京・九段会館での公演を見ています。一人オーケストラのような仰々しいキーボードは、けっしてレオンの音楽性に合っているとは思えずちょっとがっかりでしたが、お馴染みの曲の数々が聴けたのは貴重な経験でした。
その後、何度か来日し、2005年には渋谷オーチャードホールでも公演しています。
そして、2013年のビルボードライブ東京、大阪での公演が、おそらく最後の来日と思われます。
2008年の、ビルボードライブ東京、大阪公演のための来日時に関係者が撮ったと思われるこんな映像もありました。曲はイギリス録音のファーストアルバムから“Roll Away the Stone”。この曲で聴けるスライド・ギターはエリック・クラプトンです。
長いことオクラ入りになっていたドキュメンタリー映画『A Poem Is A Naked Person』が、昨年公開になりました。これは1970年台初期のレオンのライブやインタビュー、オフステージの様子を映画監督のLes Blankがレオンに同行して撮影してたもの。
公開されなかった理由は監督がその出来栄えに満足しなかった、楽曲使用の権利関係で問題があったとされていますが、レオン若かりし頃の貴重な記録であることに間違いありません。日本での公開情報は今のところありませんが、ぜひとも全編を見たいものです。
レオンは、シェルターレコードをデニー・コーデルとともに立ち上げ、多くの新人アーティストにチャンスを与えました。シェルターからはJ.J.ケイルやフィービー・スノウなどのスターも生まれました。
1960年後期から1975年くらいまでは、間違いなくアメリカのポピュラー・ミュージックシーンに於いて、最も重要なアーティストの一人であり、シーンの中心人物だったと思います。
これは1970年、スタジオリハーサルの様子。
レオンは1973年に初来日。その時の様子は翌年発売された、Leon Russell Live in Japanで聴くことができます。
1975年発表のアルム、邦題「鬼火」から、シングルヒットした「レディ・ブルー」
当時このアルバムは、日本でも大々的に宣伝されていたことを、よく覚えています。
初期三作に比べ、だいぶソフィスティケイトされ、聴きやすくなってるものの、なんとな〜く時代の流れとずれ始めているような、かといってコアなマニアに大絶賛される風でもない空気を、そこはかとなく感じてしまうんですよね。あくまで私個人の感想です。一般的には名盤とされる一枚ですが。
しかし、レオンのピークはこの頃までで、以後ライブ活動、アルバム制作なども地道に続けられていたようですが、世界的に大きな話題になった記憶が私にはありません。
1976年、雲行きの怪しくなってきたシェルターを離れ、発表したアルバム。結婚したばかりの奥さん(スライ&ファミリーストーンのマリー・マクレアリー)との熱々デュエットアルバムです。けっして悪い出来ではないと思いますが、初期のイメージで聴くと、声とサウンドがミスマッチに感じられてしまいます。あくまで私個人の感想ですが。
その、けっして美声とは言えないワン・アンド・オンリーな歌声は時代を超えて魅力的です。アクが強すぎて、時代に受け入れられなくなったという事情もあったでしょう。
でも、それだけではないようにも思います。彼を突き動かしていた何かが、離れて行ってしまったようにも感じます。全世紀以降も、1991年のソロライブを皮切りに、何度も来日していますが、その公演内容、また新作アルバムについても賛否両論でした。
レオンの歌声、そして数々の名曲....それだけで十分じゃないか、と言われればその通りです。でも、現役のアーティストとしては、ちょっと寂しいものを感じたのもまた事実でした。
そうは言っても、1970年前後にレオンが遺した名唱、名曲、制作物の数々は、アメリカンミュージック・シーンにとどまらない、世界の宝物でしょう。
改めて、その功績に敬意を表し、哀悼の意を捧げたいと思います。
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